更新世の氷期と間氷期

Wisconsinan /
Weichsel or Vistula / ヴュルム
氷期 15?70
Sangamon / Eemian     間氷期 70?130
Illinoian / Saale / リス 氷期 130?180
Yarmouth / Holstein 間氷期 180?230
Kansan / Elster / ミンデル 氷期 230?300
Aftonian / Cromer 間氷期 300?330
Nebraskan / Elbe / ギュンツ 氷期 330?470
- / Waalian 間氷期 470?540
- / ドナウII 氷期 540?550
- / Tiglian 間氷期 550?585
- / ドナウI 氷期 585?600

亜氷期と亜間氷期

ヨーロッパの花粉帯
花粉帯 花粉層序 年代 植生 ヨーロッパの考古学的時代区分 気候
IX サブアトランティック (Sub-Atlantic) 500 BCE-現在 草本類、マツ類、海岸性森林帯の拡大 鉄器時代 冷涼-温暖湿潤 (亜間氷期)
VIII サブボレアル (Sub-Boreal) 3000 - 500 BCE ナラ類の混合林 青銅器時代-鉄器時代 温暖乾燥(亜氷期)
VII アトランティック (Atlantic) 5500 -3000 BCE ナラ類の混合林 新石器時代-青銅器時代 温暖湿潤(亜間氷期)
V and VI ボレアル (Boreal) 7,700 - 5,500 BCE マツ/カバノキ林混合林の増加 中石器時代 温暖乾燥(亜氷期)
IV プレボレアル (Pre-Boreal) 8,300 - 7,700 BCE カバノキ林 後期旧石器時代-前期/中期中石器時代 冷涼(亜間氷期)
III ヤンガードリアス* (Younger Dryas) 8,800 - 8,300 BCE ツンドラ 後期旧石器時代後半 寒冷(亜氷期)
II アレレード (Allerod Oscillation) 9,800 - 8,800 BCE ツンドラ、カバノキ林 後期旧石器時代後半 温暖(亜間氷期)
Ic オールダードリアス (Older Dryas) 10,000 - 9,800 BCE ツンドラ 後期旧石器時代後半 寒冷(亜氷期)
Ib ベーリング (Bolling Oscillation) 10,500 - 10,000 BCE park ツンドラ 後期旧石器時代後半 冷涼-やや温暖(亜間氷期)
Ia オールデストドリアス (Oldest Dryas) 13,000 - 10,500 BCE ツンドラ 後期旧石器時代後半 寒冷(亜氷期)

*「ヤンガードリアス」

暦年代で12,900-11,500年前、放射性炭素年代で11,000-10,000年前
温暖期アレレード期(9,800 - 8,800 BCE)後の1300 ± 70年間続いた気候の寒冷期(厳しく寒い)
最終氷期が終わり温暖化が始まった状態から急激に寒冷化に戻った現象で、現在から12,900年から11,500年前にかけて北半球の高緯度で起こった(Alley,R.B.,2000)。この変化は数十年の期間で起きたとされている

規模

ヤンガードリアスはヨーロッパに非常に大きな影響を与えたが、世界各地でも類似の現象が報告されている。

しかし、南極で見られる寒冷化はヤンガードリアスの少し前に始まってほぼ同時期に終わっており、規模がグリーンランドよりも明らかに小さい。これが世界的な出来事だったとしても、この時期に南半球には氷河の前進の証拠が無いことが問題視されている。

原因

この原因は、北大西洋の熱塩循環の著しい減退もしくは停止に求める説が有力である。

最終氷期の終了に伴う温暖化によって、それまで北大西洋中緯度までしか北上できなかった暖流のメキシコ湾流が高い緯度まで達するようになり、そこで大気中に熱を放出して沈降する。その放出された熱によりヨーロッパは高緯度まで温暖化が進み、大陸氷床は急速に縮小しつつあった。北アメリカでも氷床は後退しつつあったが、融解した氷床は現在の五大湖よりさらに巨大なアガシー湖を造って、そこからあふれた大量の淡水はミシシッピ川を通ってメキシコ湾に注いでいた。

しかし氷床が北に後退すると共にセントローレンス川の流路が氷の下から現われ、アガシー湖の水は今度はセントローレンス川を通って北大西洋に流出するようになった。この膨大な量の淡水は、比重が海水より小さいこともあって北大西洋の表層に広がり、メキシコ湾流の北上と熱の放出を妨げた結果、ヨーロッパは再び寒冷化し、世界的に影響が及んだとされる。

しかし、現在のところ、この理論ではなぜ南半球の寒冷化が先に起こったのかが説明できていない。

ヤンガードリアスの終了

氷床コアGISP2の酸素同位体の分析から、ヤンガードリアスの終了は40〜50年の間にそれぞれ5年程度の3つの段階を経て起きたと考えられている。塵や雪の堆積速度などの他の指標から、数年で7℃という非常に急激な温暖化が起こったことを示している(Alley,R.B.,2000;Alley et. al.,1993;Sissons, J.B.,1979;Alley,R.B., et. al.,1993;Dansgaard,W.,et. al.,1989)。

この年代は様々な手法で推定されているが、紀元前9600年頃(補正後現在から11550年前。紀元前1万年前に放射性炭素の値が平坦な《上昇も低下もしない比較的変動の少ない時期》があるため。詳しくは放射性炭素年代測定参照)と言われている。現在のところ最も有効な説では以下のものがある。

11530±50 BP -- グリーンランドGRIP氷床コア
11530+40-60 BP -- ノルウェー西部、Krakenes湖
11570 BP -- ベネズエラ、カリオカ海盆堆積物コア
11570 BP -- ドイツ、樫/松の年輪学
11640±280 BP -- グリーンランドGISP2氷床コア
BPはbefore present(〜年前)の略

ヤンガードリアスと農耕の開始

ヤンガードリアスはしばしば西アジアでの農耕の開始と関連付けられる(Bar-Yosef,O.and A.Belfer-Cohen,2002)。寒冷化と乾燥化がその地域の環境容量(carrying capacity)の低下をもたらして前期ナトゥフ時代の住民の生活様式を変化させ、更なる気候の悪化によって食料を生産する必要性が生じたという説がある。一方、この寒冷化が終わったことが農業の開始と関係するという説もあり、この問題については議論が続いている(Munro,N.D.,2003)。

【最終氷期】

最終氷期ヴュルム氷期)7万年前〜1万年前終了
最終氷期の時に最も氷床が拡大したおよそ2万年前を最終氷期の最寒冷期Last Glacial Maximum LGM )。

氷河作用の影響を直接受けた地域

この時代、およそヨーロッパ北部全域、カナダのほぼ全域と、西シベリア平原の北半分が巨大な氷床に覆われていた。北アメリカではその南限は五大湖周辺、東ヨーロッパではライン川の河口からクラクフ、ロシアではモスクワからアナバール川河口まで達していた。アイスランド全島、南部を除いたブリテン諸島も氷床に覆われていた。一方南半球では、パタゴニア氷床がチリ南部、南緯41度付近まで達した。チベットや、カシミール地方のバルティスタン(パキスタン北端部)とラダック(インド西北部)、アンデス山脈のアルティプラーノも氷床に覆われていた。アフリカ、中東、東南アジアでは小規模な山岳氷河が形成され、特にアフリカではアトラス山脈とバレ山地、東南アジアではニューギニアに氷河が存在した。オビ川、エニセイ川は広大な氷床によってせき止められ巨大な湖が形成された。

永久凍土が、ヨーロッパでは氷床の南から現在のハンガリーのセゲドまで、アジアでは北京まで発達していた。しかし北アメリカでは標高の高いところ以外では氷床の南域に永久凍土は発達しなかった。

氷床に覆われた時期の北アメリカは現在の氷河地域のような気候であったが、東アジアやアラスカの一部は標高の高いところ以外は氷河化していなかった。この特殊な現象には3つの原因が考えられる。

乾燥地域

現在温暖な地域の最終氷期最寒冷期の気候は非常に乾燥していて、一般に寒冷であった。極端なケースでは、南オーストラリアサハラ砂漠南部のサヘル地域では降水量は9%まで減少し、植物相は氷河に覆われたヨーロッパや北アメリカ地域と同じくらいまで減少した。

比較的影響の少なかった地域でも熱帯雨林は大きく縮小し、西アフリカの熱帯雨林はグラスランド(熱帯性の大草原)に囲まれて「避難するような」状態であった。アマゾンの熱帯雨林は拡大したサバンナによって二つに分割されていた。東南アジアの熱帯雨林地域も似たような影響を受け、スンダランドの東西端以外は落葉林が広がっていたと思われる。中央アメリカとコロンビアのチョコ地域だけが熱帯雨林として実質的に損なわれずに残っていたが、それはおそらく現在でも極めて大量の雨が降る地域だからであろう。

砂漠地域のほとんどはその面積を拡大していた。ただアメリカ西部では例外的にジェット気流が変化して現在砂漠である地域に大量の雨を運んでいた(似たような現象は北アフリカでも起きたとされているが確証は無い)。オーストラリアは移動する砂丘に大陸の50%が覆われ、南米のグランチャコやパナマも同様に乾燥していた。

現在の亜熱帯地域、特に東部オーストラリアやブラジルの大西洋沿岸森林地域 (Atlantic Forest) や中国南部では乾燥化により森林の大部分が喪失し、荒涼としたウッドランド(疎開林)が分布していた。中国北部は寒冷だが氷河に覆われることは無くツンドラと大草原が混在し、森林の北限は少なくとも現在より緯度にして20度南にあった。

最終氷期の海水準低下とその影響

最終氷期の最盛期には、数十万立方kmといわれる大量の氷がヨーロッパや北米に氷河・氷床として積み重なった。海水を構成していた水分が蒸発して降雪し陸上の氷となったため、地球上の海水量が減少、世界中で海面が約120mも低下した。その影響で海岸線は現在よりも沖に移動していた。この海水準がもっとも低下した時代、東南アジアでは現在の浅い海が陸地になっており「スンダランド」を形成していた。アジアとアラスカの間にはベーリング陸橋が形成され、ここを通って北アメリカに人類が移住したと信じられている(海水準変動を参照)。

日本列島およびその周辺では、海岸線の低下によって北海道と樺太、ユーラシア大陸は陸続きとなっており、現在の瀬戸内海や東京湾もほとんどが陸地となっていた。また、東シナ海の大部分も陸地となり、日本海と東シナ海をつなぐ対馬海峡もきわめて浅くなり、対馬暖流の流入が止まったと言われている。この影響もあり日本列島は現在より寒冷で、冬季の降雪量が少なかったと考えられている。北海道では永久凍土やツンドラ、標高の高い地域では山岳氷河が発達し、針葉樹林は西日本まで南下していたと言われている。

最終氷期の気候変動

最終氷期というと長い間続いたと一般には思われているが、実際は短い周期で気候が激しく変動していた(氷床コアの研究において発見され、ダンスガードサイクルと呼ばれる)ことがわかってきた。最寒冷期の状態が続いたのは実際は非常に短い間、おそらく2000年ほどであったと専門家の間では考えられている。最寒冷期の直前は多くの地域では砂漠も無く実際現在よりも湿潤であったようである。特に南オーストラリアでは、4万年前から6万年前の間の湿潤な時期にアボリジニが移住したと思われる。

最終氷期が終わった現在の完新世のことを後氷期と呼ぶこともある。

最終氷期が終わって後氷期に移行する時に大きな「寒の戻り」がおこり一時的に氷期のような寒冷な気候になった。この時期はヤンガードリアス期(およそ1万3千年前)と呼ばれ、約10年のあいだに気温が約7.7度以上上昇したということがわかっている。これは氷期から間氷期に移行する時の急激な温暖化によって、北半球の氷床が溶解し、大量の淡水が大西洋に流入して海洋・気候のシステムに大きな影響を与えたためと言われている

完新世(Holocene)は地質時代区分(世)のうち最も新しいもの。かつての沖積世(Alluvium)とはほぼ同義である。最後の氷期が終わる約10,000年前から現在まで(近未来も含む)のこと。その境界は、ヨーロッパにおける大陸氷床の消滅をもって定義された

完新世の気候最温暖期
7,000年前から5,000年前の間の完新世で最も温暖であった時期。温暖な状態が続いた後は2,000年前位までにかけて徐々に気温が低下。

世界的な影響

完新世の気候最温暖期は、北極付近では4℃以上上昇した(シベリアでは冬に3-9℃、夏に2-6℃というデータもある;Koshkarova、2004)。ヨーロッパ北西では温暖になったが、南部では寒冷化していた(Davis、2003)。年平均気温の変化は緯度が高いほど顕著に現れ、基本的に低・中緯度ではあまり変化が無かった。熱帯のサンゴ礁では1℃に満たない程度である。世界平均では、おそらく20世紀半ばと比較して(緯度による違い、季節性、応答パターンの違いを見積もって)0.5-2℃温暖だったと言われている。 

はるか離れた南半球(ニュージーランドや南極など)での完新世で最も温暖になったのは、およそ8,000年前から1万500年前の間、最終氷期が終わって間もなくである(Masson、2001およびWilliams、2004)。6,000年前までの温暖期は北半球の気候最温暖期と関連付けるのが普通だが、これらの地域では当時既にほぼ現在と同じ気温に達しており、北の気温変化とは関連が無いとされている。しかし、何人かの研究者は、南で早くに起きた温暖化も完新世気候最温暖期とみなしている。

ミランコビッチサイクル

この気候事件は、おそらく地球軌道の変化で簡単に説明が付き、最終氷期終了の延長的な現象と思われる。

9,000年前、軌道要素では地軸の傾き(グラフobliquity)が24°で、極域の夏に最も太陽が近づいており(近日点、グラフの偏心率 eccentricity)、北半球が受ける日射量が極大となる。ミランコビッチ要素の計算からは、更に北半球の夏の日射量がより増加し、より熱せられるという結果が導かれる。また、太陽黒点の活動も活発な時期であった。この結果、雷を伴った嵐が活発な熱帯収束帯と呼ばれる地域が南へシフトしたと予想される。

しかし軌道要素の計算結果は北半球で発見された気候の極大反応より数千年早い。この遅れは 地球が最終氷期から脱する時からの気候の継続的な変化や、氷のフィードバック効果と関連した結果であろう。気候変動が異なった地域ではしばしば時期がずれたり、その継続期間も異なるということを考察する際にも同様である。幾つかの地点のこのイベントに伴う気候変化は、早くておよそ9,000年前から始まったり、4,000年前まで継続している場所もある。更に付け加えると、北半球から離れた南半球の最温暖期は、北半球の温暖化に先立ち非常に早く起きている。

その他の変化

ほとんどの低緯度地域ではそれほど著しい気温変化は見られ無かったが、他の面での気候の変化は報告されている。アフリカやオーストラリアでは湿潤になり、アメリカ中西部は砂漠に近い状態であった。南アメリカのアマゾン周辺では気温が上がり、乾燥化した(Mayle、2004)。

海水準

この時期は最終氷期終了以降、もっとも北半球の氷床が融けていたため、世界的な海水準が最も上昇していた。この海水準の上昇は日本では'縄文海進'と呼ばれ、海面が今より3〜5メートル高かったと言われている。日本列島の海に面した平野部は深くまで海が入り込んでいたことがわかっている。また、気候は現在より湿潤で年平均で1〜2℃気温が高かった。

縄文海進

縄文海進とは、縄文時代に日本で発生した海水面の上昇のことである。海面が今より3〜5メートル高かったと言われ、縄文時代前期の約6,000年前にピークを迎えたとされている。日本列島の海に面した平野部は深くまで海が入り込んでおり、気候は現在より温暖・湿潤で年平均で1〜2℃気温が高かった。

縄文海進は、貝塚の存在から提唱されたものである。海岸線付近に多数あるはずの貝塚が、内陸部でのみ発見されたことから海進説が唱えられた。当初は、日本で活発に行われている火山噴火や地震による沈降説も唱えられたが、その後、海水面の上昇が世界的に発生していたことが確認され裏付けられた。

縄文海進の原因

この時期は最終氷期終了の後に起きた世界的に温暖化の時期に相当する(完新世の気候最温暖期)。また、北半球の氷床が完新世では最も多く融けていたため、世界的に海水準が高くなった時期に当たる。この温暖化の原因は地球軌道要素の変化による日射量の増大とされている。近年の地球温暖化の議論では、過去の温暖化の例としてしばしば取り上げられている。

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