歩兵砲(山砲) | ||
三一式山砲 | 四一式山砲 | 狙撃砲 |
●明治31年制定 ※制定時名称:三十一年式速射山砲 ●支那事変時、後述の四一式山砲が不足した為、その代用として配備された。 口径:75o 砲身:100p 重量:327s 初速:264m/秒 射程:4,300m |
●明治41年制定。 ●砲兵科で九四式山砲が採用された事と、歩兵連隊の火力増強が必要な事から、余剰の四一式山砲を歩兵科に配備する案が採用され、不足分については昭和11年に生産を再開している。 ●連隊砲の通称で呼ばれた。 口径:75o 砲身:130p 重量:540s 初速:340m/秒 射程:6,450m |
●大正7年完成。 ●敵機関銃を破壊する目的で開発された。 ●当時の工業力を反映して材料に青銅鋼を採用しているのが特徴。 ●シベリア出兵で歩兵連隊に新設された特殊砲隊に配備され、後に戦車にも搭載された。 口径:37o 砲身:104p 重量:175s 初速:530m/秒 射程:5,000m |
軽迫撃砲 | 十一年式平射歩兵砲 | 十一年式曲射歩兵砲 |
●狙撃砲と同時期に開発されたものと思われるが詳細不明。 ●狙撃砲と同様、シベリア出兵時に歩兵連隊に新設された特殊砲隊に配備された。 ●1小隊2門で、狙撃砲1小隊と軽迫撃砲2小隊で1特殊砲隊を編成し、連隊に配属した。 口径:?o 砲身:?p 重量:?s 初速:?m/秒 射程:650m |
●大正11年制定。 ●狙撃砲の流れを汲む歩兵砲であり、材料が鉄鋼となり重量が軽減した。 ●狙撃砲同様、戦車にも搭載された。 ●ノモンハン事件まで第1線にあったが、大東亜戦争時には後備兵器となっていた。 口径:37o 砲身:134p 重量:90s 初速:450m/秒 射程:5,000m |
●大正11年制定。 ●湾曲弾道を描く砲弾で敵機関銃を攻撃する目的で開発された。 ●砲身は旋条を有し、専用の弾丸を発射する。 ●初期には腔発に悩まされた。 ●支那事変時には後備兵器となっていた。 口径:70o 砲身:75p 重量:63s 初速:147m/秒 射程:1,550m |
九二式歩兵砲 | 九七式自動砲 | 九七式曲射歩兵砲 |
●独ラインメタル・ボルジッヒ社製で平/曲射両用の75o歩兵砲I.G.18に倣い、昭和3年開発開始、昭和7年制定。 ●1歩兵大隊に2門配備され「大隊砲」の通称で呼ばれた。 ●初期の車輪は木製スポークだったが、後に有孔鉄板となった。 口径:70o 砲身:79p 重量:204s 初速:197m/秒 射程:2,800m |
●スイスのソロータン社製20o対戦車ライフルs18-1000を参考に開発され、昭和12年制定。 ●射距離250mで30oの貫徹能力を持つ。 ●生産数は僅か400門で乙編成連隊に2門配備。 ●外装式地雷擲弾ジテ弾も試作された。 口径:20o 砲身:118p 重量:72.5s 初速:870m/秒 射程:5,000m 形式:ガス圧利用式空冷半自動 弾倉:7発 |
●仏ストークブラン社から製造権を購入し、昭和12年制定。 ●九二式歩兵砲の後継として位置付けられるが、完全な切り替えには到らなかった。 ●九二式歩兵砲と同様に「大隊砲」の通称で呼ばれた。 口径:81o 砲身:127p 重量:67s 初速:196m/秒 射程:2,850m |
試製八十一粍無反動砲 | ||
●昭和18年、独より無反動砲の技術資料がもたらされ、同年後半には陸軍技術研究所で開発に着手。 ●昭和19年5月、大阪陸軍造兵廠に試作が指示され、同年中に一型と二型の2種類が完成したが、実用化には到らなかった。 ●滑腔砲身を有し、兵士3名で運用する対戦車兵器であった。 口径:81o 砲身:?p 重量:?s 初速:?m/秒 射程:?m |
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野 砲 | ||
四斤野砲 | 克式八糎野砲 | 克式七糎半野砲 |
●明治4年、御親兵が設置された際、薩摩藩と土佐藩から四斤野砲/山砲を装備した砲兵隊が提供され、以来明治19年頃まで主力野砲の座にあった。 ●1859年、仏で開発された前装式旋条砲で、元治元年徳川幕府が輸入。明治6年に国産化された。 口径:86.5o 砲身:1.38m 初速:343m/秒 射程:4,000m 射速:?発/分 重量:0.76t |
●1864年、普で開発された後装式野砲で、明治4年に和歌山藩が輸入契約したが廃藩置県により明治政府が肩代わりし、更に明治6年にも輸入した。 ●明治7年配備開始。明治9年には更に発注予定だったが、新型の克式七糎半野砲の出現で、そちらに変更された。 口径:78.5o 砲身:?m 初速:355m/秒 射程:3,000m 射速:?発/分 重量:0.68t |
●1873年、普で開発された克式八糎野砲の後継砲で、明治9年に1門を試験輸入し、結果良好につき明治12年から配備開始。 ●クルップ社鋼製砲は当時の工業力と軍事予算では国産化出来ず、兵器独立の気運の高まりから本砲は敬遠され、少数輸入に留まった。 口径:75o 砲身:?m 初速:473m/秒 射程:5,000m 射速:?発/分 重量:0.80t |
伊式七糎野砲 | 三十一年式速射野砲 | 鹵獲三吋野砲 |
●明治13年頃、自国の兵器は国産化が必須という兵器独立論から、仏ブリュネー少佐の意見で墺伊でのユカチウス式圧搾青銅(鋼銅)製砲に着目。 ●翌年技師を墺伊仏に派遣。伊の青銅野砲1門と製造機械一式を購入し明治15年帰国。明治16年に国産化し制定。 口径:75o 砲身:1.78m 初速:422m/秒 射程:5,000m 射速:7発/分 重量:0.69t |
●明治29年、新型野砲案として英アームストロング社,独クルップ社,仏カネー,シュナイダー,ホチキス,ダルマンシェー各社の野/山砲を1門ずつ輸入し、有坂,秋元,栗山案の各1門ずつを加えた9種類の砲が試験され、有坂案を改修して明治31年に制定。 ●初の無煙火薬使用砲である。 口径:75o 砲身:2.20m 初速:488m/秒 射程:7,750m 射速:7発/分 重量:0.91t |
●露M1900型野砲である。構造的には仏シュナイダー社の野砲に倣ったもので、単箭型砲架内の復座発条が特徴。 ●日露戦争時、露軍より大量に鹵獲。現地部隊で組織的に再利用されている。 口径:76.2o 砲身:?m 初速:588m/秒 射程:8,000m 射速:8発/分 重量:? |
三八式野砲 | 四一式騎砲 | 改造三八式野砲 |
●明治37年、独クルップ社に砲身長後座式野砲を発注。 ●明治38年、第1号砲が到着。各種試験の結果、弾薬が分離薬筒方式から完全弾薬筒方式に変更された。 ●明治40年制定。国産化され、以後改修されつつ大東亜戦争終戦迄の長期間に渡り使用された。 口径:75o 砲身:2.33m 初速:520m/秒 射程:8,350m 射速:20発/分 重量:0.95t |
●明治41年制定。 ●三八式野砲の閉鎖器を水平鎖栓式から螺式(水平鎖栓式に比して装填動作に時間がかかるが軽量である)に改め、各部の軽量化を主眼とした騎兵用の砲である。 ●制定された騎兵砲としては最初で最後のものとなった。 口径:75o 砲身:2.33m 初速:520m/秒 射程:8,350m 射速:?発/分 重量:0.92t |
●三八式野砲の射程延伸の為、大仰角をかけられるように単箭型の大架をY字型に改修したもの。 ●大正14年に甲乙丙の3型が試作され、当初は長砲身の丙が採用され10門だけ製造されたが、大正15年に甲が改めて制定された。 ●原型より抗堪性が劣り、大架の破損が頻発した。 口径:75o 砲身:2.33m 初速:520m/秒 射程:10,700m 射速:20発/分 重量:1.14t |
九一式十糎榴弾砲 | 九〇式野砲 | 機動九〇式野砲 |
●大正14年、欧米兵器視察に赴いた緒方中将は仏シュナイダー社に当時の新技術であった開脚式砲架と単肉自己緊縮(オートフレッタージュ)砲身を盛り込んだ新型75o/105o野砲の仕様を提示し開発を依頼。 ●昭和6年に輸入され、試験を経て、同年制定。 口径:105o 砲身:2.90m 初速:454m/秒 射程:10,800m 射速:?発/分 重量:1.50t |
●九一式十糎榴弾砲と同時に仏シュナイダー社に発注。昭和5年に輸入され、試験を経て、昭和7年制定。 ●制定まで年月を費やしたのは、大射程の本砲を推す野戦砲兵学校と、射程は犠牲として軽快な砲(後の九五式野砲)を推す参謀本部との、意見の対立が原因。 ●初の砲口制退器採用砲。 口径:75o 砲身:2.88m 初速:680m/秒 射程:13,890m 射速:?発/分 重量:1.40t |
●昭和8年、九〇式野砲の砲架と車輪を、牽引車による高速牽引用に改修したもので、生産開始は昭和10年。 ●原型に比して0.20tの重量増。 ●時速45qで運行可能であった。 口径:75o 砲身:2.88m 初速:680m/秒 射程:13,890m 射速:?発/分 重量:1.60t |
九五式野砲 | 機動九一式十糎榴弾砲 | |
●九〇式野砲の審査時に参謀本部が要求した「射程を犠牲にしてでも軽快な運動性を有する野砲」という案の具現化したものである。 ●昭和11年制定。 ●諸元的には改造三八式野砲と大差無い。 口径:75o 砲身:2.33m 初速:520m/秒 射程:10,700m 射速:?発/分 重量:1.11t |
●昭和15年、九一式十糎榴弾砲の砲架と車輪を、牽引車による高速牽引用に改修したもので、生産開始は昭和16年。 ●原型に比して0.25tの重量増。 ●時速40qで運行可能であった。 ●本砲は僅か100門程度の生産に終わっている。 口径:105o 砲身:2.90m 初速:454m/秒 射程:10,800m 射速:?発/分 重量:1.75t |
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加農砲 | ||
克三八式十糎加農 | 三八式十糎加農 | 十四年式十糎加農 |
●新型十加の開発中に日露戦争が開戦し、急遽独クルップ社から十加20門を輸入したものであるが、間に合わなかった。 ●大阪砲兵工廠製の三八式十加と区別する意味で、克三八式十加と呼称された。 ●輸入のみで国産化はされていない。 口径:105o 砲身:?m 初速:?m/秒 射程:?m 射速:?発/分 重量:?t |
●明治37年に大阪砲兵工廠で国産十加の試作に入り、日露戦争を経て、明治38年に三八式十糎加農として制定された。 ●名称は似ているが、克三八式十加とは砲架、駐退復座機、防盾等各部の構造が異なる点に留意されたい。 口径:105o 砲身:3.33m 初速:540m/秒 射程:10,800m 射速:?発/分 重量:2.59t |
●第一次世界大戦後の各国火砲の射程延長の趨勢を鑑み、三八式十加の後継砲の開発が急がれた。 ●当初は馬匹輓曳式として設計されたが、途中から車輌牽引式に変更され、大正12年に完成した。しかし仏シュナイダー社の開脚式砲架の特許問題があり、時効を待ってから制定されたので十四年式となったものである 口径:105o 砲身:3.59m 初速:640m/秒 射程:15,300m 射速:?発/分 重量:3.12t |
九二式十糎加農 | ||
●昭和2年、十四年式十糎加農の後継砲として自動車牽引専用の新型十加が試作されたが失敗。開発は頓挫していたが満州情勢を鑑み再開され、昭和7年に短砲身の試製砲が竣工。各種試験を経て、昭和9年に長砲身化され制定された。 ●大東亜戦争の主力十加として活躍した。 口径:105o 砲身:4.73m 初速:765m/秒 射程:18,200m 射速:?発/分 重量:3.73t |
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榴弾砲 | ||
三八式十二糎榴弾砲 | 三八式十五糎榴弾砲 | 四年式十五糎榴弾砲 |
●明治31年、独クルップ社と購入契約を結び、明治37年に輸入。ただちに日露戦争で実戦投入された。 ●明治41年から国産化され、明治44年に制定。 ●砲身後座式ながら、射撃時の仰起が激しく安定性に欠けた。 口径:120o 砲身:1.44m 初速:275m/秒 射程:5,680m 射速:?発/分 重量:1.26t |
●三八式十二糎榴弾砲と同時期に購入契約を結び、輸入/国産化され、明治44年に制定。 ●構造的にも三八式十二糎榴弾砲の単純なスケールアップであり、欠点も同様である。 ●馬8頭で牽引したが、軍馬の質が悪く、力不足で御する事が困難であった。 口径:149.1o 砲身:1.88m 初速:275m/秒 射程:5,890m 射速:?発/分 重量:2.09t |
●明治41年から三八式十五糎榴弾砲の後継砲の研究が開始され、特に機動性の悪さを解消すべく、砲身と砲架を分解してそれぞれ別に牽引する案が浮上し、長期に渉る試験を経て大正4年に制定。 ●昭和5〜11年、射程延伸を企図した様々な改修が行われたが、失敗に終わっている。 口径:149.1o 砲身:2.19m 初速:398m/秒 射程:8,800m 射速:?発/分 重量:2.80t |
九六式十五糎榴弾砲 | ||
●昭和9年に設計開始。翌年試製砲完成。 ●重砲牽引は馬匹から機械へと変化し、また単一砲車へと戻った。 ●仮制式上申以前に北支にて数門が実戦投入され部隊ではその性能が絶賛された。 ●昭和11年制定。以降主力野戦重砲として活躍している。 口径:149.1o 砲身:3.53m 初速:540m/秒 射程:11,900m 射速:?発/分 重量:4.14t |
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臼砲/迫撃砲 | ||
九糎臼砲 | 十五糎臼砲 | |
●明治24年ごろ制定。大阪砲兵工廠で試作・生産された。 ●開発当初は伊式火砲の特徴である青銅製砲身であったが、明治36年以降は鋼製砲身となる。 ●日清戦争及び日露戦争で活躍している。 口径:90o 砲身:0.85m 初速:245m/秒 射程:4,150m 射速:?発/分 重量:0.45t |
●明治26年ごろ制定。大阪砲兵工廠で試作・生産された。 ●九糎臼砲を大型化・大威力化したものと考えてよい。弾頭重量は4倍、砲身重量は6倍にも及ぶが、射程はさほど延伸されなかった。 ●日清戦争及び日露戦争で活躍している。 口径:149.1o 砲身:1.10m 初速:242m/秒 射程:4,750m 射速:?発/分 重量:1.47t |
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高射砲/高射機関砲 | ||
十一年式七糎半野戦高射砲 | 十四年式十糎高射砲 | 八八式七糎野戦高射砲 |
●大正9年設計開始。翌年大阪砲兵工廠で完成し、野戦砲兵射撃学校での実用試験を経て、大正11年制定。 ●同時期の航空機の発達が目覚ましく、その結果本砲は短期間で旧式化してしまい、生産数も約40門と少ない。 ●陣地固定式高射砲や要塞用加農砲の派生型もある。 口径:75o 砲身:2.56m 初速:525m/秒 射程:10,900m 射高6,650m 射速:20発/分 重量:2.06t |
●十一年式野戦高射砲よりも更に高空を火制する為、同砲を大型化し威力増大を図った砲で、大正14年制定。 ●砲弾重量は約24sあり手動装填は大変な作業であった為、昭和3年から自動装填装置が研究されたが、実用化したのは8年後の昭和11年であった。 口径:105o 砲身:4.20m 初速:700m/秒 射程:16,300m 射高10,500m 射速:5発/分 重量:5.19t |
●大正15年に試作砲完成。技本での所要の試験の後、野戦砲兵学校における実用試験を経て、昭和2年に制定。 ●後に九七式高射算定具(※電気式高射照準具)が制定され、大東亜戦争中の主力高射砲の座を占めた。 口径:75o 砲身:3.12m 初速:720m/秒 射程:13,800m 射高9,100m 射速:15発/分 重量:2.45 |
九九式八糎高射砲 | 三式十二糎高射砲 | 四式七糎半高射砲 |
●支那事変の南京攻略戦時、南京江陰砲台で押収した独製高射砲(クルップ社製といわれ、独海軍砲と同型であると思われる)が原型。 ●昭和13年に技本で調査開始。照準具を日本式に変更して複製され昭和14年に試作砲3門が完成。昭和16年に陸軍防空学校で実用試験を実施し準制式化。1,000門弱生産。 口径:88o 砲身:3.96m 初速:800m/秒 射程:15,700m 射高10,420m 射速:?発/分 重量:6.50t |
●昭和18年制定。 ●海軍の技術協力により、12.7センチ高角砲を参考に国内要地防空を目的として開発された。 ●高射算定具、信管測合、弾薬装填、旋回俯仰など自動化された優秀な砲であったが生産は百数十門に留まり戦局を打開するには至らなかった。 口径:120o 砲身:6.71m 初速:853m/秒 射程:20,500m 射高14,000m 射速:7〜12発/分(推定) 重量:19.80t |
●九九式八糎高射砲と同様、中国の南京攻略戦で鹵獲したボフォース75o高射砲を模倣生産したもの。昭和19年制定。 ●高性能だが生産数は約70門と少ない。 ●後に車載用に改修されチト車やナト車に搭載された。 口径:75o 砲身:?m 初速:860m/秒 射程:17,000m 射高10,000m 射速:?発/分 重量:3.35t |
五式十五糎高射砲 | ||
●昭和18年末から高高度進入するB29等の戦略爆撃機を迎撃する目的で開発され、昭和20年制定。 ●大阪造兵廠と日本製鋼所広島工場で各1門ずつ計2門だけ完成し終戦間際ではあるが東京都杉並区久我山に布陣しB29を撃墜している。 口径:149.1o 砲身:9.00m 初速:930m/秒 射程:26,000m 射高20,000m 射速:10発/分 重量:50.00t |
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九四式三十七粍砲 | 一式機動四十七粍砲 | |
●十一年式平射歩兵砲の後継として昭和8年開発開始、昭和11年制定。 ●九四式三十七粍戦車砲と混同されるが全くの別物。※戦車砲の方が低性能 ●「速射砲」の通称で呼ばれた。 ●独に倣い外装式タ弾も試作された。 口径:37o 砲身:171p 重量:327s 初速:700m/秒 射程:2,870m |
口径:47mm. 放列砲車重量:800kg. 高低射角度:-11〜18度 方向射角度:58度 初速:830m/s. 最大射程:6,900m. 弾種:一式徹甲弾 |
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噴進砲 | ||
試製七糎噴進タ弾発射筒 | 試製九糎噴進タ弾発射筒 | 四式二十糎噴進砲 |
四式四十糎噴進砲 | 試製15cm多連装噴進砲 | |