軽戦車 | ||
甲型軽戦車 | フィアット3000B | 乙型軽戦車 |
●大正8年頃輸入(仏製)。 ●初期の戦車兵教育に大いに貢献した。 ●満州事変初期には実戦にも投入されたが、第一次世界大戦時の戦車の機動力では適応できず、間もなく後送され、再び教育用として使用された。 重量:6.7t 全長:4.88m 全幅:1.74m 全高:2.14m 機動:液ガ39hp8q/h 乗員:2名 装甲:22o 武装:37o砲 又は:機銃1 |
●昭和初期に少数を参考輸入。 ●日本国内で撮影された写真が遺されている事から、乙型軽戦車と同時期に、輸入戦車の候補に挙がっていたものと考えられる。 重量:6.0t 全長:4.15m 全幅:1.64m 全高:2.19m 機動:液ガ63hp22q/h 乗員:2名 装甲:16o 武装:37o砲 |
●昭和5年頃輸入(仏製)。 ●生産の進まない八九式中戦車の穴埋めとして、重要な役割を果たした。 ●上海事変で実戦参加。懸架装置と履帯強度に問題あり。 ●八九式中戦車が充足した後は、後送されて教育用に使用された。 重量:8.5t 全長:4.41m 全幅:1.71m 全高:2.14m 機動:液ガ60hp20q/h 乗員:2名 装甲:30o 武装:37o砲 又は:機銃1 |
ビッカース6トン戦車A型 | 九五式軽戦車(ハ号) | 九八式軽戦車(ケニ) |
●昭和5年に1輌を参考輸入(英製)。 ●履帯の材質、車載無線機等の技術研究に供された。 ●特に高マンガン鋼精密鋳造履帯と転輪ゴムの併用により履帯寿命が飛躍的に延長した。この技術を会得出来たのは特記すべき事である。 重量:7.0t 全長:4.57m 全幅:2.43m 全高:2.08m 機動:空ガ80hp35q/h 乗員:3名 装甲:14o 武装:機銃2 |
●昭和10年制定。 ●トラックと同等の速度を出す事が可能となり、機動面で大きく進歩したが、防御面は弱体であり、1人用砲塔の戦闘能力にも限界があった。 ●支那事変と大東亜戦争初期に活躍した。 重量:7.4t 全長:4.30m 全幅:2.70m 全高:2.28m 機動:空デ120hp40q/h 乗員:3名 装甲:12o 武装:37o砲 :機銃2 |
●昭和14年制定。 ●日野と三菱で競争試作され、日野案が採用されたが、支那事変激化により在来兵器生産が優先され、やっと生産開始した頃には次の軽戦車が制定されてしまい、ごく僅かな生産で終ってしまった。 ●日本戦車最初の同軸機銃採用。 重量:7.2t 全長:4.11m 全幅:2.12m 全高:1.82m 機動:空デ130hp50q/h 乗員:3名 装甲:16o 武装:37o砲 :機銃1 |
鹵獲M3軽戦車 | 二式軽戦車(ケト) | 三式軽戦車(ケリ) |
●大東亜戦争初期、ビルマや比島で多量に鹵獲、再利用された(米製)。 ●軽戦車とは名ばかりで、車格的にはチハ以上で、装甲も出力重量比も遥かに優れていた為、現地部隊で重宝された。 重量:12.3t 全長:4.52m 全幅:2.24m 全高:2.52m 機動:空ガ250hp56q/h 乗員:4名 装甲:38o 武装:37o砲 :機銃5 |
●昭和17年制定。 ●車体はケニを踏襲しており、戦車砲と砲塔が新設計されている。 ●生産開始は昭和19年であるが、その頃にはもう戦場に軽戦車の居場所は無かった。 ●ごく少数が生産され、本土決戦用に配備された。 重量:6.2t 全長:4.10m 全幅:2.12m 全高:1.82m 機動:空デ130hp50q/h 乗員:3名 装甲:16o 武装:37o砲 :機銃1 |
●昭和18〜19年に試作。 ●ハ号の主砲をチハの57o砲に換装しただけのもの。 ●換装の結果、砲塔内が狭くなり操砲に不便な為、生産には移されなかった。 ※砲を除き、九五式軽戦車に準ずる。 |
四式軽戦車(ケヌ) | 五式軽戦車(ケホ) | その他 |
●昭和19年制定。 ●ハ号車体にチハ砲塔を載せたもの。 ●少数が改修され、本土決戦用に四国方面に配備された。 重量:8.4t 全長:4.30m 全幅:2.70m 全高:2.48m 機動:空デ120hp40q/h 乗員:3名 装甲:25o 武装:57o砲 :機銃2 |
●昭和20年まで開発が続けられたが、未完成のまま終戦を迎えた。※よって五式中戦車と呼ぶ事に抵抗感はあるが、一般的呼称に従う。 ●40t級の車体に見合うディーゼル発動機を開発する余力は無く、九五式戦闘機の発動機を転用した。 重量:37.0t 全長:7.30m 全幅:3.05m 全高:3.05m 機動:液ガ550hp45q/h 乗員:5名 装甲:75o 武装:75o砲 :37o砲 :機銃2 |
●満州事変時鹵獲軽戦車 ・ルノーFT18(仏製) ●支那事変時鹵獲軽戦車 ・T号戦車(独製) ●ノモンハン事件時鹵獲軽戦車 ・T26軽戦車(ソ製) |
中戦車 | ||
中戦車A型 | ヴィッカースMk.C | 八九式中戦車(イ号) |
●大正8〜9年に少数輸入(英製)。 ●2基の発動機で左右の履帯を別個に駆動するのが特徴。 ●大正9年に2輌がシベリア出兵に参加。 ●その後は専ら研究・教育用に用いられた。 ●甲型軽戦車と共に、極初期の戦車隊の設立に大きく貢献した。 重量:14.0t 全長:6.10m 全幅:2.62m 全高:2.74m 機動:液ガ45hp2基13q/h 乗員:3名 装甲:14o 武装:機銃4 |
●昭和2年に1輌を参考輸入(英製)。 ●従来の戦車の常識を覆す機動力だった。 ●試験中の発動機火災事故により、戦車は輸入ではなく国産すべしという気運が高まる結果となる。 ●後に開発された八九式中戦車の構造は、ほぼ本車の模倣である。 重量:11.6t 全長:5.59m 全幅:2.54m 全高:2.41m 機動:液ガ165hp32q/h 乗員:5名 装甲:6.5o 武装:57o砲 :機銃4 |
●初の制式国産戦車。 ●昭和4年に軽戦車として制定。昭和6年量産開始。改修による重量増で、昭和9年に中戦車に改称。 ●支那事変、ノモンハン事件時の主力戦車。 ●発動機により甲と乙の2型に分類されるが、実際には非常に多くの種類が存在する。 重量:13.0t 全長:5.75m 全幅:2.18m 全高:2.56m 機動:空デ120hp25q/h 乗員:4名 装甲:17o 武装:57o砲 :機銃2 |
試製中戦車(チニ) | 九七式中戦車(チハ) | 九七式中戦車改(新砲塔) |
●昭和12年に1輌試作。 ●チハとの競争試作であったが、支那事変勃発の影響を受けて高性能のチハが採用され、チニが生産に移される事は無かった。 ●車体上部の構造はハ号を踏襲している。 重量:9.8t 全長:5.26m 全幅:?m 全高:?m 機動:空デ135hp30q/h 乗員:3名 装甲:25o 武装:57o砲 :機銃1 |
●昭和13年制定。 ●大東亜戦争の主力戦車であるが、活躍出来たのは初期だけで、以降は火力・装甲とも弱体となり、圧倒的な苦戦を強いられた。 ●自走砲等、各種の派生車輌は多いが、それを有効に運用するシステムは確立出来なかった。 重量:15.0t 全長:5.52m 全幅:2.33m 全高:2.23m 機動:空デ170hp38q/h 乗員:4名 装甲:25o 武装:57o砲 :機銃2 |
●チハの57o砲は対戦車戦闘能力が低かった為、47o対戦車砲を載せた新砲塔に換装したもの。 ●昭和14年に砲の研究開始。昭和17年4月に制定。しかし制定を待たずに新砲塔チハは生産され、昭和17年3月には既に1個中隊が比島に送られた。 重量:15.8t 全長:5.52m 全幅:2.33m 全高:2.38m 機動:空デ170hp38q/h 乗員:4名 装甲:25o 武装:47o砲 :機銃2 |
試製九八式中戦車(チホ) | 一式中戦車(チヘ) | 三式中戦車(チヌ) |
●昭和14年試作。 ●47o砲+同軸機銃の砲塔を、下部転輪5個の新車体に載せたものであったらしい。 ●それらしい砲塔をチハ車体に載せて試験中の写真はあるが、完全な写真は遺されておらず、不明点が多い。 ※不明 |
●一式とは名ばかりで、開発・試験が終了したのは昭和18年、量産開始は昭和19年である。 ●配備状況から、昭和19年に比島に送られた可能性は有るのだが、写真や実戦記録が遺されていない為、輸送中に海没した可能性も否定出来ない。 重量:17.2t 全長:5.73m 全幅:2.33m 全高:2.38m 機動:空デ240hp44q/h 乗員:5名 装甲:50o 武装:47o砲 :機銃2 |
●昭和19年制定。 ●米軍のM4中戦車に対抗すべく、チヘ車体に75o野砲の新砲塔を載せたもの。 ●野砲の砲架をほぼそのまま流用している為、砲塔が車体とはアンバランスに大きい。 ●本土決戦用に配備され、終戦を迎えた。 重量:18.8t 全長:5.73m 全幅:2.33m 全高:2.61m 機動:空デ240hp39q/h 乗員:5名 装甲:50o 武装:75o砲 :機銃1 |
四式中戦車(チト) | 五式中戦車(チリ) | |
●昭和19年制定。 ●当初の主砲は57o対戦車砲だったが、威力不足の為、75o高射砲に変更。 ●鋳造砲塔を採用したが一体鋳造ではなく、生産工程の簡素化は出来なかった。 ●発動機に過給器、操向装置に油圧機構を採用。 重量:30.0t 全長:6.42m 全幅:2.87m 全高:2.87m 機動:空デ400hp45q/h 乗員:5名 装甲:75o 武装:75o砲 :機銃2 |
●昭和20年まで開発が続けられたが、未完成のまま終戦を迎えた。※よって五式中戦車と呼ぶ事に抵抗感はあるが、一般的呼称に従う。 ●40t級の車体に見合うディーゼル発動機を開発する余力は無く、九五式戦闘機の発動機を転用した。 重量:37.0t 全長:7.30m 全幅:3.05m 全高:3.05m 機動:液ガ550hp 45q/h 乗員:5名 装甲:75o 武装:75o砲 37o砲 :機銃2 |
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重戦車 | ||
Mk.W(雌) | 試製一号戦車 | 試製二号戦車 |
●大正7年に1輌参考輸入(英製)。 ●研究・試験・訓練に用いられたが、実戦には使用されていない。 ●輸入当時は戦車隊も戦車兵も存在せず、自動車隊の輜重兵が運用した。 重量:27.0t 全長:8.05m 全幅:3.20m 全高:2.46m 機動:液ガ105hp6q/h 乗員:8名 装甲:12o 武装:機銃6 |
●昭和2年に1輌試作された、初の国産戦車である。 ●当初は10t級の戦車を予定していたが、次々と追加要求が出された結果、完成時には18tに達してしまった。 ●当時各国では英のインディペンデント戦車に触発され多砲塔戦車を開発したが、当車もその一つ。 重量:18.0t 全長:6.03m 全幅:2.40m 全高:2.78m 機動:空ガ140hp20q/h 乗員:5名 装甲:17o(軟鋼) 武装:57o砲 :機銃2 |
●陸軍省が試製一号戦車の研究継続を命じ、昭和5年に改修を終了。 ●主な改修点は、軽量化、発動機出力増加、操縦性向上、機銃増設である。 ●外観での識別点は足周り(下部転輪数減少)と砲塔(機銃追加)である。 重量:16.0t 全長:6.22m 全幅:2.45m 全高:2.88m 機動:空ガ150hp21q/h 乗員:5名 装甲:15o 武装:57o砲 :機銃3 |
試製九一式重戦車 | 九五式重戦車 | 試製100t戦車 |
●昭和7年に1輌試作。 ●試製二号戦車と酷似しているが、発動機、変速器、履帯等に差異がある。 ●後に主砲が70o砲に換装された。 重量:18.0t 全長:6.30m 全幅:2.45m 全高:2.57m 機動:液ガ224hp25q/h 乗員:5名 装甲:20o 武装:57o砲 :機銃3 |
●昭和10年制定。 ●しかし、この頃には多砲塔重戦車の運用に疑問が持たれ、わずか4輌のみの生産に終った。 ●実戦には参加しておらず、後に自走砲の試験車体として利用された。 重量:26.0t 全長:6.47m 全幅:2.70m 全高:2.90m 機動:液ガ290hp22q/h 乗員:5名 装甲:35o 武装:70o砲 :37o砲 :機銃2 |
●昭和15年頃、陸軍省の某官僚(I大佐)が独断で技本に開発を指示したと言われる。 ●「九五式重戦車の寸法を2倍に延ばして作れ」という無茶苦茶な要求であった。 ●かくも重要な時期に、馬鹿な思い付きで、貴重な時間・資材を浪費し、戦車研究を遅滞させた彼の責任は重い。 重量:約100t 全長:約10m 全幅:4.20m 全高:約4m 機動:液ガ550hp2基?q/h 乗員:11名 装甲:75o 武装:105o砲 :副武装不明 |
試製重戦車(オイ)(ミト?) | 試製五式砲戦車「ホリI」 | 試製五式砲戦車「ホリII」 |
●昭和19年頃、おそらく独のマウスに倣い計画されたもの。 ●机上案で終ったのか、試作段階まで進んだのか判然としない(戦後の関係者の証言でも、前述の100t戦車の記憶が混在している可能性がある為)。 ●ミトとも呼ばれたらしい。 ※不明 |
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砲戦車 | ||
一式砲戦車(ホニT) | 二式砲戦車(ホイ) | 三式砲戦車(ホニV) |
●昭和16年制定。 ●先に砲兵科が開発した一式七糎半自走砲を、機甲科でも採用したもので、同一の車輌でありながら2つの制式名を持っている。 ●機甲科で、対戦車戦あるいは火力支援に従事する車輌は砲戦車と呼称された。 重量:15.9t 全長:5.90m 全幅:2.33m 全高:2.39m 機動:空デ170hp38q/h 乗員:5名 装甲:50o 武装:75o砲 |
●昭和17年制定。 ●戦車連隊の火力支援を目的として開発された。 ●車体は一式中戦車、主砲は九四式山砲がそれぞれ基礎となっている。 ●生産数はごく少なく、配備定数を充足する事はとうてい不可能で、代替車としてチハやイ号が配備された。 重量:16.7t 全長:5.73m 全幅:2.33m 全高:2.58m 機動:空デ240hp44q/h 乗員:5名 装甲:50o 武装:75o砲 :機銃1 |
●昭和18年制定。 ●全周装甲の固定戦闘室を持ち、一式砲戦車よりも更に対戦車戦闘を意識した設計と言える。 ●主砲は九〇式野砲ではなく三式75o戦車砲で、一式砲戦車に比して直接照準能力が向上している。 重量:17.0t 全長:5.52m 全幅:2.33m 全高:2.39m 機動:空デ170hp38q/h 乗員:5名 装甲:50o 武装:75o砲 |
自走砲 | ||
一式七糎半自走砲(ホニT) | 一式十糎自走砲(ホニU) | 四式十五糎自走砲(ホロ) |
●昭和16年制定。 ●九七式中戦車の車体に、前面と側面を装甲板で囲った簡素な戦闘室を固定し、砲口制退器を砲口環に改めた九〇式野砲が搭載された。 ●機動砲兵連隊に配備された。 重量:15.9t 全長:5.90m 全幅:2.33m 全高:2.39m 機動:空デ170hp38q/h 乗員:5名 装甲:50o 武装:75o砲 |
●昭和17年制定。 ●構造としてはホニTの搭載砲を九一式十榴にしたものであるが、間接照準射撃を主眼とし、対戦車戦闘は考慮されておらず、装甲は薄くなっている。 ●機動砲兵連隊に配備されたものと思われる。 重量:16.3t 全長:5.52m 全幅:2.33m 全高:2.39m 機動:空デ170hp38q/h 乗員:5名 装甲:25o 武装:105o砲 |
●昭和19年制定。 ●名称は自走砲であるが、三八式十五榴の直接照準射撃で敵戦車を撃破する可能性のみを追求した設計で、対戦車特攻兵器的性格が強い。 ●対戦車戦闘を任務とする独立自走砲大隊に配備された。 重量:16.3t 全長:5.52m 全幅:2.33m 全高:2.63m 機動:空デ170hp38q/h 乗員:6名 装甲:25o 武装:149o砲 |
試製四式十二糎自走砲(ホト) | 試製四式重迫撃砲(ハト) | 試製七糎半対戦車自走砲(ナト) |
●昭和20年試験中に終戦。 ●九五式軽戦車の車体に、前面と側面を装甲板で囲った戦闘室を固定し、三八式十二榴を搭載したもので、発想はホロと同じである。 重量:?t 全長:?m 全幅:2.70m 全高:?m 機動:空デ120hp40q/h 乗員:?名 装甲:?o 武装:120o砲 |
●昭和18年に三式迫撃砲(口径30p)の車載化研究を開始。車体は四式中型装軌貨車を利用し、昭和19年に4門が製作され、試験中に終戦。 ●ハトに随伴する専用の弾薬車も昭和20年に研究中であった。 ●噴進砲の実用化により、存在価値は低かった。 重量:14.5t 全長:6.80m 全幅:2.40m 全高:2.75m 機動:空デ165hp40q/h 乗員:7名 装甲:8o 武装:300o迫撃砲 |
●昭和19年試作開始。昭和20年試験中に終戦。 ●四式中型装軌貨車に四式戦車砲と防盾を搭載したが、車高の高さと砲架支持部強度に問題があった。 ●生産のおぼつかない砲を採用し、既存の高射砲を流用しなかった点は疑問が残る。 重量:15.0t 全長:5.80m 全幅:2.40m 全高:2.75m 機動:空デ165hp40q/h 乗員:7名 装甲:12o 武装:75o砲 |
試製対空自走砲(タセ) | 試製対空自走砲(名称不詳) | 試製十糎対戦車自走砲「カト」 |
●昭和16〜17年頃試作・試験していたが、命中精度や操砲時の不都合等により、開発は中止された。 ●車体は九八式軽戦車の戦闘室を車幅いっぱいに拡げ、上部開放の旋回砲塔を載せ、九八式高射機関砲を搭載していた。 重量:?t 全長:?m 全幅:2.12m 全高:?m 機動:空デ130hp?q/h 乗員:?名 装甲:16o 武装:20o機関砲 |
●昭和19年頃試作・試験していたと思われる。終戦により実用化には到らなかった。 ●車体は九八式軽戦車を利用し、二式20o機関砲(双連)と防盾を搭載した。 重量:?t 全長:?m 全幅:2.12m 全高:?m 機動:空デ130hp?q/h 乗員:?名 装甲:16o 武装:20o機関砲2 |
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水陸両用戦車・其の他 | ||
スミダAMP | SR-T | SR-U |
●昭和4年試作。 ●AMPとはAmphibious(水陸両用)の略である。 ●外観は半装軌式装甲車であり、陸上では車輪側を前にして走行するが、水上では逆に履帯側を前にして車輪で舵を取るという、独特の運転方法を採用している。 重量:2.5t 全長:7.00m 全幅:?m 全高:?m 機動:空ガ?hp45/9q/h 乗員:2名 装甲:5o 武装:機銃1 |
●昭和8年頃試作と思われる(九二式重装甲車とSR-Uの中間)。 ●SRとは水陸両用の頭文字である。 ●九二式重装甲車の車体を大型・水密化して浮力を与えているが、水上航行時には別途浮舟が必要。 ●北支派遣軍で試用した。 ※不明 |
●昭和9年試作。 ●SR-Tとは異なり、全く独自の設計である。 ●足周りにホルストマン式サスペンションを、車体前面に可動式波切り板を採用した。 ●SR系列の中では最も大型の車体である。 重量:4.00t 全長:5.00m 全幅:1.88m 全高:2.39m 機動:空ガ70hp40/8q/h 乗員:3名 装甲:6o 武装:機銃2 |
SR-V | 特三号戦車(クロ) | |
●昭和12年試作。 ●武装強化策として旋回砲塔に13o機関砲を装備した。 ●中国のクリーク(川)に作戦の機動性を制約されない為に、水陸両用戦車の実用化を求める声は少なくなかったが、結局制式化されずに終った。 重量:3.8t 全長:4.20m 全幅:1.75m 全高:1.90m 機動:空ガ72hp48/9.3q/h 乗員:2名 装甲:10o 武装:13o機関砲 |
●昭和18年頃研究開始。別名ソラ。 ●豆戦車に翼を着けて滑空機とし、曳航して、目的地に降着後は翼を外して戦闘に参加するという構想の「空飛ぶ戦車」である。 ●結局、豆戦車を降着させたところで、米軍相手では「焼け石に水」である事が認識され、計画は中止された。 ※不明 |