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35(t)戦車

●開発

第1次世界大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国から独立したチェコスロバキアは、まず、装甲車による機械化部隊の創立に着手し、次いで、フランスよりルノーFT軽戦車を購入して、機甲部隊の前身を作り上げた。
同時に、国産の装甲車両の開発にも着手し、1930年代に入ると国産戦車の開発も積極的に行い、1934年には本格的な新型戦車開発計画に乗り出した。
そして、この計画から誕生したのがLTvz.35軽戦車である。

1934年、チェコスロバキア陸軍は、当時の世界情勢を考慮して再軍備計画の検討を開始したが、その中には軽戦車開発も含まれており、1934年から1938年にかけて、中戦車42両、軽戦車279両を1,000万ドル近くの予算で整備することが要求されていた。
この計画に従い、1934年末に新型軽戦車の開発が要求され、シュコダ、CKD両社がそれぞれ設計案を提出することが求められた。

シュコダ社は、火砲メーカーとして伝統と実績を持ち、1930年代に入ると、戦車の開発にも積極的に取り組んでおり、一方CKD社は、当初から装甲車や軽戦車の開発に力を注いでいた。
この要求に従い、シュコダ社は、以前から開発を進めていたSU(中型攻撃車両)の発展型をS-IIaとして提出し、同様にCKD社も、1934年に軍に採用されたLTvz.34軽戦車をベースとした改良型P-IIa案をまとめ上げた。

シュコダ社は、これまでの軍での実績を利用して、採用のために様々な圧力をかけた。
モックアップは、1934年10月に軍に呈示され、1935年6月に、2両の試作車を使った試験が行われた。
試験の結果は、必ずしもシュコダ社に有利なものではなく、その設計に問題が無いとはいえなかった。
しかし、それにも関わらず、1935年10月30日、S-IIaをLTvz.35軽戦車として制式化し、160両を生産することが決定された。

これは、ドイツの再軍備などで国際情勢が急迫している折、とにかく戦車が欲しかったからだともいわれるが、一方で、シュコダ社の政治力が最終的に物を言ったのだともいわれる。
LTvz.35軽戦車は、1936年にも138両が追加発注され、その発注数は298両となり、1936年9月30日から1937年7月30日までに引き渡される計画が立てられた。

さらに、208両が追加される予定であったが、運用段階で問題が判明し、これは立ち消えとなっている。
LTvz.35軽戦車の生産は、当初の予定よりもやや遅れ、軍への引き渡しが開始されたのは1936年12月からで、1938年4月に最終号車の引き渡しが終了している。
なお、生産はシュコダ社に加えて、ライバルであるCKD社でも行われ、それぞれ148両ずつが生産された。


●構造

LTvz.35軽戦車は、戦闘重量10.5tと、II号戦車をわずかに上回るものの、ほぼ同級と考えてよい。
しかし、II号戦車の最大装甲厚14.5mmという数字に対し、LTvz.35軽戦車は前面20mm、側面16mmとやや強力で、しかも、武装は37mm戦車砲と7.92mm機関銃を主砲に同軸装備している他、車体前部にも7.92mm機関銃を装備しており、この点でも1日の長があった。

基本的なレイアウトは、車体前部の右側に操縦手が、左側に無線手がそれぞれ配され、操縦手席の直上には専用のハッチが用意されており、車体中央の床にも円型の脱出用ハッチが設けられていた。
操縦室の後方は砲塔を含む戦闘室、そして後部が機関室というオーソドックスなもので、機関系は全て機関室内に収められて、後部に設けられた起動輪を駆動する。

エンジンは、出力120hpのシュコダ社製T-11/0 直列6気筒液冷ガソリン・エンジンが用いられ、エンジンの左側に124リッター入りの燃料タンクが置かれているが、戦闘室内にも29リッター容量の補助タンクが設けられている。
変速機は本車の特徴であり、圧縮空気を用いた、前進/後進共に6段のものが採用され、操向装置も同様に、圧縮空気による作動方式を採っていたが、緊急時用として、油圧で作動するステアリング・ブレーキも備えていた。

砲塔には、車長のみ主砲の左側に収まり、37mm戦車砲と、同軸の7.92mm機関銃の操作を行う。
砲の俯仰、旋回は共にハンドルが用意され、旋回ハンドルを1回転させることで砲塔が3度旋回する。
また、主砲に装着されている肩当てを肩で押して旋回させることもでき、また、任意の位置で固定できるフックが装着されていた。

主砲は、シュコダ社の手になる40口径37mm戦車砲vz.34を装備し、徹甲弾を用いた場合、砲口初速675m/秒、射距離600mで、衝角30度の12mm厚均質圧延鋼板を貫徹することができた。
副武装の同軸機関銃と車体機関銃は、チェコ機関銃やブルーノ機関銃と一般に呼ばれる7.92mm機関銃ZBvz.37が用いられ、操縦手と無線手の間に設けられた車体機関銃は、通常無線手が操作するが、必要に応じて、ワイアを用いたメカニズムが備えられ、操縦手が射撃することも可能であった。

なお弾薬は、37mm砲弾が78発(徹甲弾24発、榴弾54発)、7.92mm機関銃弾が2,700発ずつ、砲塔後部と戦闘室内の弾薬箱に収容される。
転輪は、2組をアームで連結したものを前後に配してリーフ・スプリングで支え、これを1つのユニットとして前後にそれぞれ配し、最前部に独立して転輪1組を置くという、少々古めかしいものだが、機能的には、特に問題とはならなかったようである。

履帯脱落防止用のカバーが装着されているので分かり難いが、後部が起動輪、前部が誘導輪で、いずれも歯が設けられていた。
LTvz.35軽戦車には型式は存在しないが、ドイツがチェコスロバキアを併合した際、本車に35(t)戦車の名称を与え、自軍の装備に加えるため、独自の改修を施すことになった。

なお、ドイツ軍に引き渡されたのは244両で、残る52両はそのままスロバキア軍の装備とされ、2両はハンガリーに引き渡されている。
まず、無線機をドイツ製のFu.5に換装し、左フェンダーにノテックライトを新設、さらに、左右フェンダー前部に位置表示灯を追加し、車体後部にも尾灯や間隔表示灯、そして反射鏡を装着し、塗装をドゥンケルグラウに改める等の改修が施された。

なお、無線機の換装に伴い、主砲の弾数は72発に、機関銃弾は1,800発にそれぞれ減らされている。
また、一部の車両は車体機関銃を取り外して、車内にFu.8無線機とジャイロ・コンパスを増設した35(t)指揮戦車に改造されたが、この車両は、車体機関銃の銃架を円型の鋼板で塞ぎ、機関室上面にはフレーム・アンテナが追加されているので、識別は容易である。

また、第一線任務から外された1942年3月、砲塔と武装を外した牽引車両への改修命令が出され、1943年までに、シュコダ社において49両が改造された。
砲塔の開口部はそのままとされたが、車内の弾薬箱は取り外されて、燃料缶を収めるように固定具を新設し、さらに、中央部にはステップが設けられている。

また、風雨などを防ぐために、機関室から開口部の前方までレールを装着して、開口部を覆う形でカンヴァスのカヴァーが取り付けられるようになったのも、この牽引型のみの特徴である。
さらに車体後部には、大きな牽引具が新設されており、最大12tの牽引能力を有していた。
なお、取り外された砲塔は、固定砲台としてオランダの海岸線等に配備されている。


●戦歴

1939年4月、35(t)戦車のうち130両が、第1軽機甲師団の第11戦車連隊および第65戦車大隊に配属された。
師団では、35(t)戦車は非常に好評に迎えられ、「ヴィッカーズ6t戦車の精巧で信頼性の高い後継車」と評されたという。
チェコ人のインストラクターも、正規のマニュアルも無いにも関わらず、訓練は順調に進み、同年7月には師団は、師団のI号戦車、II号戦車は不要として、チェコ製戦車を配備されるのを望んだという。

第1軽機甲師団は、1939年のポーランド戦に参加し、さらに、第6機甲師団に編成替えの後、1940年のフランス戦では、118両の35(t)戦車と10両の35(t)指揮戦車を持って、1941年のロシア戦では、149両の35(t)戦車と11両の35(t)指揮戦車を持って参加し、北部地区で戦った。
ロシアで問題となったのは、35(t)戦車の圧縮空気を使用する変速、ブレーキ・システムが、寒さで作動不良になる点であった。

しかし、それ以上に問題だったのは、T-34中戦車やKV-1重戦車などが登場する戦場では、軽装甲、弱武装という、いかにも古くなり過ぎた本車の基本性能であった。
結局、師団の最後の35(t)戦車、「最後のアンソニー」は、1941年12月10日に失われ、戦車としての本車の歴史は、事実上終わりを告げた。

<35(t)戦車>

全長:    4.90m
全幅:    2.055m
全高:    2.37m
全備重量: 10.5t
乗員:    4名
エンジン:  シュコダT-11/0 直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 120hp/1,800rpm
最大速度: 34km/h
航続距離: 120km
武装:    40口径3.7cm戦車砲KwK34(t)×1 (72発)
        7.92mm機関銃MG37(t)×2 (1,800発)
装甲厚:   8〜25mm




















































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