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IV号戦車A型

●IV号戦車A型


IV号戦車は、1930年のグデーリアン将軍の構想に基づく、ドイツ軍の機甲兵力整備方針に則って開発されたもので、第2次世界大戦の開戦から終戦までを主力として活躍した、最も代表的なドイツ戦車である。
IV号戦車の開発は、III号戦車に先駆けて1930年より始められたが、III号戦車が現代で定義するところの主力戦車として開発されたのに対し、このIV号戦車は火力支援を目的としていたのが大きな相違点であった。

開発にあたってBW(随伴車)の隠匿名称が与えられ、その基本仕様はIII号戦車とほぼ同一であったが、重量は、当時のドイツの河川にかかる橋が、道路の限度荷重が25tであったことから18t級とし、主砲には、III号戦車の装甲貫徹力では不十分な目標を攻撃するために、当時としては破格の大口径である7.5cm戦車砲を備えることとされた。
当初、BWの開発はラインメタルとクルップの2社があたっていたが、後にMAN社も参加している。

ラインメタル社は、直前に開発したNbFz.をベースとして開発を進めたため独特の足周りとされたが、他社は、オーバーラップ式転輪配置とトーションバー・サスペンションを採用していた。
1935〜36年に行われた試験の結果、兵器局は最終的にクルップ社をBWの開発、生産メーカーに指定し、1936年4月3日、BWはIV号戦車として開発が進められることになった。
なお、BWの砲塔の設計については、あらかじめクルップ社が担当することに決まっていた。

設計案では、トーションバー・サスペンション、オーバーラップ式転輪などの新機軸を採用したクルップ社であったが、実際の開発にあたっては、NbFz.から一部の部品を流用することとされ、さらに、足周りは8個の小転輪を2個ずつペアにしてリーフ・スプリングで支えるという、やや旧式な方式が採用されることになった。
1936年12月には、最初の生産型であるIV号戦車A型が35両発注された。

生産は1937年10月から1938年3月にかけて、マグデブルク・ブッカウのクルップ・グリューソンヴェルクで行われ、1938年半ばに軍に引き渡された。
以後、各型に発展することになるが、基本形はほとんど変わっておらず、IV号戦車は、すでにA型からほぼ完成された姿だったといえる。

とはいえ、いろいろと違いもあった。
上部車体については、全体的デザインは同じであったが、左右フェンダー上にはみだした袖部の大きさが違っていた。
下部車体では、前面装甲板が丸く曲げられて曲面装甲板になっていたのが特徴であった。

砲塔も、ほぼデザイン的にはまとまっていたが、若干前後長が短く、前部左右下部の切り欠きの形状が異なっていた。
また、上部に取り付けられたキューポラも、ダストピン型と呼ばれる、比較的単純な視察口が開口したタイプであった。
そして、前面左右の視察口の装甲カバーも、単純な一枚板で、上面に跳ね上げて開くようになっていた。

車体各部の装甲厚は前、側、後面共に14.5mm、砲塔は20mmと薄かったが、これは、この段階では十分と考えられていた。
重量は17.3tで、エンジンにはV型12気筒10,838ccのマイバッハHL108TR液冷ガソリン・エンジン(出力250hp)が搭載されていた。

ギアボックスはZF社製のSFG75で、前進5段/後進1段、ステアリングシステムはクラッチ・ブレーキ式で、路上最大速度は35km/hである。
また、砲塔旋回用に専用の補助エンジンが装備されていた。
主砲には、24口径と短砲身の7.5cm戦車砲KwK37を装備していた。

また、副武装には7.92mm機関銃MG34 1挺が主砲と同軸に、さらにもう1挺が、ボール・マウント式に車体前面右寄りに装備されていた。
また車体左側には、機関銃を取り付けることのできるスイング式の機関銃架が設けられていた。
乗員は、操縦手、無線手の2名が車内に収まり、砲手と装填手、車長の3名が砲塔内に位置するようになっていた。


<IV号戦車A型>


全長:    5.92m
全幅:    2.83m
全高:    2.68m
全備重量: 17.3t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL108TR 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 250hp/2,600rpm
最大速度: 35km/h
航続距離: 140km
武装:    24口径7.5cm戦車砲KwK37×1
        7.92mm機関銃MG34×2
装甲厚:   10〜20mm






































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