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V号戦車パンターA型

●パンターA型


パンターA型は、D型の生産が始まって間もない1943年2月18日に、砲塔を開発したラインメタル社と、兵器局第6課の関係者による会合で開発が決まったものである。
同じ頃に要求が出された新パンター(パンターII)とは異なり、D型の、それも砲塔関係の改良を目的としたものであったが、当然ながら、生産中に多くの改良が実施されていることはいうまでもない。

A型の生産は、1943年9月から1944年7月まで行われ、645両がMAN社(製造番号210255〜210899)、675両がダイムラー・ベンツ社(製造番号151901〜152575)、830両がMNH社(製造番号154801〜155630)、そして50両が、新たに生産に加わったデマーグ社(製造番号158101〜158150)で生産され、その総数は2,200両を数える。
D型を生産していたヘンシェル社が見当たらないが、これは、回収型ベルゲパンターの生産に振り向けられたからである。

D型からA型への発展で最大の変化は、やはり砲塔関係であった。
まず、砲塔内部左側にL4S砲塔旋回油圧装置を新設し、レバー操作で高低2種のギアを選択することにより、砲塔の旋回速度が変更可能となった。
同様に、生産の簡易化も図られており、砲塔側面と前面の装甲板の組み合わせが、より単純なものに変更され、防盾と接する基部も強化が図られて、形状が変化している。

また、視界が悪く不評だった車長用キューポラは、鋳造製で上部全周にペリスコープ7基を備える新型が採用され、装甲厚の面でも、60mmから80mmに強化が図られている。
このキューポラの上部に備えられたペリスコープ・ガードの上には、対空機関銃架を装着するリングが溶接された。

ただし現存する写真から、A型の初期生産車では、より鋭角的で、まるで機械加工による削り出しのように見えるキューポラが用いられていたことが判明している。
この車両はダイムラー・ベンツ社の生産車で、1943年10月1日に完成したと思われる製造番号151951といわれており、これを見る限りでは、少なくとも50両はこのスタイルで完成したと考えるのが妥当である。

さらに砲塔関係の改良は、11月半ばの生産車から、主砲照準機がそれまでの双眼式TZF.12から、単眼式のTFZ.12aに変更された。
このため、2個並んで開口されていた防盾の照準機用穴は廃止されることになるが、ストックの関係から、ひとまず、2個開口している防盾の外側の開口部を装甲栓で埋めて溶接して用い、この防盾の在庫が無くなった時点で、最初から開口部が1個の新型防盾を装備した。

このあたりは、他のドイツ車両に共通している。
これにわずかに先駆ける11月半ばに生産された第651号車から、砲塔バスケットの支柱が強化されたことも砲塔周りの変化である。
1943年9月からの生産車では、磁気吸着地雷への対処として、ツィメリット・コーティングの塗布が開始された。

自軍が磁気吸着地雷を採用したから、敵も同様の兵器を持ち出してくるであろうという判断から採用されたものだが、連合軍では磁気吸着地雷を実用化しなかったため、これは徒労に終わり、1944年9月半ばに廃止されることになる。
この決定時、すでにA型の生産は終了しており、生産数から見ると、1943年9月の生産車を含まないとしても、2,000両以上はコーティングを施して完成したことになる。

同じく9月からの生産車では、リベットを打って強化していた転輪の在庫を消化したので、最初からボルトを24個とした強化型転輪が用いられることになった。
同様に、凍結した路面で車体が滑らないように、履帯に防滑具の装着が始められたのもこの頃からである。
これは、履板の5枚ないし7枚おきに装着するもので、簡単なスプリングを用いて固定されていたため、装着時には15km/h以上で走行することは禁じられていた。

11月の生産車からは、エンジンのガバナーを調節して、最大回転数を3,000rpmから2,500rpmに落とすことになった。
この結果、エンジンへの負担は減り、ようやく本調子を発揮するようになる。

さらに、牽引車両が少ないことを背景として、車体リアパネル下部に大きな牽引具を装着することになったが、これは、1943年9月の生産車から装着用のボルト穴を開け、翌44年4月まで実行されたものの、実際に装着したのは、1943年11月から12月にかけての生産車の一部にしか過ぎなかった。
これは、グラウンドクリアランスを減らすデメリットがあったためである。

その後、牽引具は、リアパネル中央にある点検用ハッチの上に取り付けられるようになった。
この11月半ば以降の生産車では、それまで長方形の開閉式カバーとなっていたマシン・ピストルのポートに替えて、ようやく完成した80mm厚装甲板用の球型機関銃架(クーゲルブレンド80)が装着されることになった。
いわゆるボールマウント式機関銃架であり、この時点で、A型の見慣れたスタイルが完成した。

この変更にわずかに遅れる12月からは、砲塔3カ所に設けられていたピストル・ポートが廃止され、砲塔上面に近接防御兵器が新設されることが決まったが、この兵器自体の生産が遅れているために、ひとまず装着用の穴を開口し、装着できるようになるまで蓋をボルトで固定することとして生産が進められた。
実際に装備が一般化するのは1944年3月に入ってからで、これ以前に完成した一部の車両は、近接防御兵器を追加装備した車両もあるが、大半は未装備のままで戦った。

この12月には、車体上面と側面の装甲板の溶接部を、それまでの単純なものではなく、より強固となるようにインター・ロック接合に改めたが、装甲板を製作している鉄工場の全てがその技術を持っていたわけではなく、このため、従来通りの溶接方式で完成された車両も多かったようである。
翌44年1月以降の生産車では、戦闘室用ヒーターが採用された。

これは、機関室左側に設けられているラジエーターからの空気排出用ファンを逆に装着し、通常とは逆に熱気を下方に向け、機関室と戦闘室の間に設けられている隔壁の一部を開口して、この部分にスライド式のカバーを設けて、戦闘室に熱気を導くという単純なものであった。
もちろん冬季時以外には、ファンを元通りに直しておくことはいうまでもない。
しかし、このファンを逆にすることで、左側排気パイプの温度が上がり過ぎてしまうという欠点も生じてしまった。

このため対処策として、左側の排気管基部左右にそれぞれ吸気管を新たに設け、内部に排気管へ延びるパイプを覆う形でエンジンの排気口接合部をカバーし、排気の際に生じる負圧を利用することで外部から空気を導入して、排気パイプを冷やすという手法が採られた。
1944年2月からの生産車は、右側排気管の下に備えられていた、エンジン始動用の慣性始動装置に繋がるクランク棒を差し込む穴の下に、サポート・ガイドが新設された。

さらに、リアパネル中央部に設けられている点検用ハッチのクランク式始動装置カバーの左右に、エンジン強制始動装置を装着するアタッチメントが追加されている。
この、エンジン強制始動装置とは、寒冷時に凍り付いたエンジンのフライホイールや、これに付随する歯車などを、通常はクランク棒を用いて始動するが、堅く凍って回転することが不可能な場合に用いるもので、小型のガソリン・エンジンを駆動させて、この動力をエンジンに伝える簡単な装置である。

これらの新装備が採用された結果、それまでリアパネル中央の点検用ハッチの外側に装備されていたジャッキが、両排気管の間に立てた形で装備されるようになる。
併せて、ジャッキ自体も20t級に強化されたが、これらの変更は段階的に盛り込まれたため、生産時期により、やや変化が生じていることが写真で確認できる。

1944年4月11日付けで兵器局第6課は、それまで車長用キューポラに備えられていたアジマス表示器を外すように指令を出した。
これは、赤外線投光器と赤外線スコープを組とした夜間暗視装置の装備がその背景にあり、MNH社の報告書では、1944年4月3日に完成した車体製造番号155297から、アジマス表示器を廃止したと記述されている。

A型の月産数から見ると、500両近くがこのアジマス表示器を未装備として完成したものと思われるが、おそらく、A型で赤外線暗視装置を備えた車両は無かったと考えられる。
A型最後の装備となったのは、その形状からピルツ(キノコ)と呼ばれる簡易クレーン装着具で、1944年6月生産車から装備が始まった。

これは、砲塔上面3カ所に溶接されるもので、装着具の中央に開口されたネジ穴に、組み立て式の2tクレーンの支柱をねじ込み、エンジン等を自力で交換できるようにした機材である。
生産時期から考えると、このピルツを備えて完成したA型は100両前後と思われるが、前線やオーバーホール等で戻された車両にも装着作業が行われたため、実際には、多くのA型でその装備例を目にすることができる。


●戦歴


1943年7月のクルスク戦後、残存するパンター中戦車は第51戦車大隊に集められ、同大隊はグロースドィッチュラント機甲擲弾兵師団隷下の第15戦車連隊第1大隊となった。
その後、8月にはSS第1機甲師団LAHの第1戦車大隊、9月にはSS第2機甲師団ダス・ライヒの第1戦車大隊、10月には第1戦車師団第1戦車大隊もパンター中戦車の装備となり、次第にパンター装備の戦車大隊が増えていった。

1944年以降の新しい編成では、戦車連隊のうち、第1大隊にパンター、第2大隊にIV号戦車が配備されることになっていた(第3大隊が存在する場合は、突撃砲装備)が、その配備は段階的に行われており、全部の部隊にパンターが行き渡るのはまだ先(正確には、永久に来なかった)であった。

<パンターA型>


全長:    8.86m
全幅:    3.42m
全高:    2.98m
全備重量: 44.8t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL230P30 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 700hp/3,000rpm
最大速度: 55km/h
航続距離: 250km
武装:    70口径7.5cm戦車砲KwK42×1 (79発)
        7.92mm機関銃MG34×2 (4,200発)
装甲厚:   16〜110mm








































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