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III号突撃砲F型

当初、歩兵支援用の専用車両として開発されたIII号突撃砲であったが、ソ連侵攻に参加すると、その低いシルエットを生かした対戦車戦闘に非常に有効であることが判明し、以後、対戦車戦闘に多用されることになった。
こうなると、主砲の24口径7.5cm砲では、ソ連軍の主力戦車T-34との戦闘においては威力に欠けるため、1941年9月にヒトラーの命により、主砲をより強力な43口径7.5cm砲に換装することが決まった。
これが、III号突撃砲長砲身シリーズ初の型式であるIII号突撃砲F型である。

開発は、車体をダイムラー・ベンツ社、主砲をラインメタル・ボルジーク社がそれぞれ担当し、1941年末までに、III号突撃砲E型に43口径7.5cm突撃加農砲StuK40を装備した試作車が完成した。
このStuK40は、APCBC弾(被帽付徹甲弾)を使用した場合、初速740m/秒、射距離1,000mで82mm(衝角30度、以下同じ)、2,000mで63mmの装甲板を貫徹可能であった。

なお砲口には、排出ガスを利用して後座量を減少させるマズル・ブレーキが装備されるようになった。
ダブル・バッフル式とシングル・バッフル式の2種類があるが、双方とも混用して装着されている。
本来ならば、戦闘室も新たに開発される予定であったが、早急な実戦化が望まれたために、ひとまずE型と同じ戦闘室を用いて生産を行うこととされ、アルケット社において、1942年3月から9月までに364両が生産された。
このうち、最終生産分の31両は、さらにいっそう対戦車能力を高めるため、48口径砲を装備して生産された。

車体は、III号戦車が新型のJ型に生産が移行していたが、III号突撃砲E型と同じく、III号戦車H型をベースとしたものがそのまま用いられた。
戦闘室自体はE型と同様だが、俯角を取った場合、長砲身化により戦闘室の天井と砲尾が干渉してしまうため、戦闘室の上面を切り欠いて、台形の張り出しを設けることで干渉を防いでいる。

同時に、乗員から不満が寄せられていた主砲発射ガスへの対処として、この張り出しの上部にベンチレーターが新設されている。
さらに、照準機も新型に替わり、これに合わせて、戦闘室上面の開口部周りの形状がリファインされた。
F型の重量は、従来型の22tから23.2tとなり、地上間隙は375mmから390mmへと増加した。

長砲身砲を装備したF型は、特殊車両番号Sd.Kfz.142/1として従来型と区別され、兵器価格(砲と無線設備を除く)は82,500ライヒスマルクで、突撃砲大隊グロスドイッチュラントへ、43口径7.5cm突撃加農砲StuK40を備えた21両が最初に部隊配備された。
F型の生産期間中には、その他に幾つかの変更点があり、まず、下部車体後面の右端の発煙弾発射機が、1942年5月から廃止された。

1942年5月6日と7日の総統会議において、III号突撃砲の前面装甲を80mmに強化可能かどうか検討することが要求され、ヒトラーはさらに、増加装甲板を溶接してIII号突撃砲の前面装甲を80mmに強化する検討を早急に行うよう命令した。
ヒトラーは、III号突撃砲を直ちに部隊から全て引き上げるのはそう困難なことではなく、重量が約450kg増加するため速度が若干低下するが、歩兵部隊での運用に限定すれば、高速性能は必要無いと主張した。

1942年6月4日にヒトラーは、7月中旬の計画期日は遅すぎるとして、早急に、III号突撃砲の前面装甲を80mmに強化するよう指示すると同時に、低下しつつあるIII号戦車の製造数を補填するため、III号突撃砲の生産を短期間のうちに、月産100両に引き上げることを命じた。
ヒトラーは、1942年6月23日にIII号突撃砲の強化を正式に決定し、6月28日と29日の総統会議において、これから製造する全てのIII号突撃砲について、前面装甲を前述の命令通りとすることが確認された。

1942年6月20日付け最終指令No.8の内容は次の通り。
 7.5cm突撃加農砲StuK40装備のIII号突撃砲について:
 上記の機材へ30mmの増加前面装甲板を支給すること。
 正面装甲板の強化は6月から開始し、同月中に11両、7月以降は全ての生産分に対して行われること。

1942年8月6日の協議においては、増加装甲板の採用が話題となり、同年7月には、80mm前面装甲のF型60両が生産され、50mm前面装甲の車両は1両も生産されなかったことが報告されている。
6月生産分の最後の11両を皮切りに、30mm厚の増加装甲板が、上部車体前面左右両側と、下部車体前部の上面および下面に溶接され、同時に、下部車体前部上面にあった、装甲ハウジングに収納された左右の前照灯が廃止され、ノテックライトも左フェンダー上部に移設された。

1942年8月から、操縦手席上方と、その反対側にある前面傾斜装甲の角度が大きくされ、段差が無くなって戦闘室天蓋に連続的に連なるようになったため、上部車体前面の50mm装甲が貫徹される危険性は少なくなった。
また、それ以前の生産型を装備した突撃砲部隊の中には、この弱点補強のため、コンクリートブロックを盛るという応急措置を講じたものもあった。
なお、F型生産期間中には弾薬収納箇所が変更となり、7.5cm砲弾の携行数が44発から54発となった。

これは、実戦において設営される弾薬集積所は大概前線から離れており、砲弾の補充が円滑にできない可能性があるため、携行砲弾数を何とか多くしようという苦心の表れであった。
F型は、前線にあった突撃砲部隊に補充として送られたが、一部は新編成の部隊にも充てられた。
長砲身砲の採用によって、ようやく突撃砲部隊は、T-34中戦車などの強力なソ連軍戦車と対等に戦うことが可能となった。


<III号突撃砲F型>


全長:    6.31m
車体長:   5.40m
全幅:    2.92m
全高:    2.15m
全備重量: 23.2t
乗員:    4名
エンジン:  マイバッハHL120TRM 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 300hp/3,000rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 165km
武装:    43口径(または48口径)7.5cm突撃加農砲StuK40×1 (54発)
        7.92mm機関銃MG34×1 (600発)
        9mm機関短銃MP40×1
装甲厚:   11〜80mm




















































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