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III号突撃砲F8型

III号突撃砲F8型は、突撃砲自体の変更ではなく、ベース車体のIII号戦車シャーシーの変化に伴う呼称の変更である。
これらは、III号突撃砲F型の第8期生産分にあたるため、F8型と呼ばれている。
F8型の生産は1942年9月から開始され、同年12月までに250両が完成した。

F8型は、ベース車体としてIII号戦車J/L型のシャーシーを流用しており、上部車体は従来のF型によく似ていたが、戦闘室天蓋にある砲手のペリスコープ用開口部が小型化され、開口部の上方には金網が被せられた。
操縦手席の前面にある下部車体上面装甲には、分割された閉鎖式乗車用ハッチの代わりに、2個の独立した汎用ハッチが用いられていたが、これは、III号戦車シャーシーをそのまま流用した結果であった。

対戦車能力のさらなる強化を図って、主砲は、F型の43口径7.5cm突撃加農砲StuK40から48口径砲に換装された。
48口径砲は、砲身長が5口径延長された以外は、StuK40と同一である。
この砲は、APCBC弾を使用した場合、初速は790m/秒、射距離1,000mで85mm、2,000mで64mmの装甲板を貫徹可能であった。

F型までの下部車体前部と後部には、牽引用ロープやジョイントバーを引っ掛けるボルト付き牽引用フックが各々2個ずつ装備されていたが、F8型の下部車体前部と後部は、各々2個ずつのボルト付き牽引用ハト目(下部車体側面を延長加工したもの)を有していた。

従来、後方に折り畳みができなかったアンテナには、F8型からアンテナ基部が設けられてそれが可能となり、機関室上面には、III号戦車と同様に冷却用空気のための大型吸気口が設置され、フェンダー前部は短縮されて、折り畳み式から固定式となった。

1942年11月に、下部車体前部上面の点検用ハッチが1枚式から分割式に変更された他、今まで、溶接により30mm厚の増加装甲板を戦闘室前面に取り付けていたが、同年10月からは生産性を上げるため、ボーリング加工を施してボルトで固定する方法が採用された。
追加装備としては、装填手の防護強化のため、1943年初めに折り畳み式機関銃防弾板が採用されて、戦闘室天蓋に取り付けられた。

これは、防弾板を装填手用ハッチ前半部にあるツメでロックし、垂直に起立させる構造となっていた。
また、1943年5月から側面シュルツェンが追加されている。
これらの追加装備は、1942年12月にF8型の生産が終了した以降に装備された。
1942年10月21日付の一般軍務報告書No.95は、III号突撃砲用の温水交換アダプターについてこう述べている。:
 
 全てのIII号突撃砲について、温水交換アダプターを設置する。
 このアダプターは、エンジンを回している他のIII号突撃砲と冷却水交換用チューブで接続するか、戦車用冷却水
 加温機材42型により、III号突撃砲の冷却水を温めることができ、添付の図表(No.BSKB262)を参考にして、簡単
 に前線部隊にて実施可能である。

1942年10月2日の総統会議において、冬季前、すなわち1943年1月1日までにヴィンターケッテ(雪上走行用の滑り止めパターンを持つ履帯)を、前線部隊に配属されているIII号突撃砲の75%に支給することが決定された。
これは、ヒトラーが特に、北方軍集団と中央軍集団に投入されたIII号突撃砲に対して、装備されることを重要視した結果であった。

ヒトラーはまた、マズル・ブレーキの横から排出される硝煙により、視界が著しく妨げられることを指摘しており、戦車砲の硝煙による視野妨害の原因が、砲兵の砲より強い発射薬を使っていることによるということを正しく認識していた。

このため、ヒトラーは砲撃の際の硝煙を減らす早急な対策を施すよう命令した。
F8型は、F型と同様に前線部隊の補充に充てられた。
1942年秋、冬と突撃砲大隊の増設が続き、III号突撃砲は有効な対戦車車両として、その評価を高めていった。


<III号突撃砲F8型>


全長:    6.77m
車体長:   5.40m
全幅:    2.95m
全高:    1.85m
全備重量: 23.4t
乗員:    4名
エンジン:  マイバッハHL120TRM 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 300hp/3,000rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 165km
武装:    48口径7.5cm突撃加農砲StuK40×1 (54発)
        7.92mm機関銃MG34×1 (600発)
装甲厚:   11〜80mm






















































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