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Sd.Kfz.234/4 7.5cm対戦車自走砲

●Sd.Kfz.234/4 7.5cm対戦車自走砲

1944年10月28日の総統会議において、ヒトラーは、Sd.Kfz.251装甲兵員輸送車およびSd.Kfz.234装甲偵察車に、48口径の7.5cm砲を搭載することを提案した。
これに対しビュッシンクNAG社では、1944年11月9日までに、46口径7.5cm対戦車砲PaK40搭載のSd.Kfz.234用図面が製作された。

しかし、軍需省は7.5cmPaK40の搭載は、これらの車両にとって過負荷であり、部隊にとって有用な兵器かどうか疑いを抱いていた。
このため、1944年11月29日までにヒトラーと軍需省とで、様々な要素について検討が行われた。
結果的に、ヒトラーはこれらの兵器の有効性を強調し、Sd.Kfz.251装甲兵員輸送車とSd.Kfz.234装甲偵察車の7.5cmPaK40搭載型を早急に生産開始(可能ならば12月中に)することを要求した。

このため1944年12月、急遽、7.5cm加農砲K51搭載用に準備されたSd.Kfz.234/3自走砲用シャシーは、7.5cmPaK40を搭載したSd.Kfz.234シリーズ最終型のSd.Kfz.234/4対戦車自走砲として利用されることになった。
Sd.Kfz.234/4対戦車自走砲は、操縦室上面以外は完全なオープン戦闘室になっている。
それどころか、7.5cmPaK40の砲尾が大きいため、切り欠きは機関室の直前部まで延長されていた。

戦闘室上部周囲には、Sd.Kfz.234/3自走砲と同様に14.5mm厚の装甲板がボルト止めされていたが、後部は副操縦装置を使用する時のために、外側に倒せるようになっていた。
車内前方には板とL&C形鋼材によって組まれたフレームが設置され、これに7.5cmPaK40の砲架をカットしたものがボルト結合されて、即席の砲架とされた。
これに、7.5cmPaK40が揺架ごと搭載された。

防盾は、4mm厚装甲板2枚による中空装甲になっており、これはオリジナルのままであったが、下部の外側は旋回の邪魔になるのでカットされていた。
旋回角は左右各20度ずつ、俯仰角は−5〜+22度であった。
7.5cmPaK40の標準照準機はZF3×8(倍率3倍、視野は8度)で、38A型望遠鏡式照準機を使用すると、Pz.Gr.39徹甲弾の場合3,000mまで、Spr.Gr.34榴弾の場合は5,200mの射撃距離まで角度表示が行えた。

7.5cm砲弾は、戦闘室右側前方の弾薬庫に12発収納できたことが分かっている。
無線機は、Fu.Spr.fが戦闘室の左側前方に搭載され、そのアンテナ基部は、すぐ上の装甲板上面に取り付けられていた。
7.5cmPaK40の揺架右側には、Sd.Kfz.251装甲兵員輸送車等に見られるのと同じ対空機関銃架が装備されていた。


<Sd.Kfz.234/4 7.5cm対戦車自走砲>

全長:
全幅:    2.33m
全高:
全備重量:
乗員:    4名
エンジン:  タトラ103 V型12気筒空冷ディーゼル
最大出力: 210hp/2,500rpm
最大速度: 80km/h
航続距離: 1,000km
武装:    46口径7.5cm対戦車砲PaK40×1 (12発)
装甲厚:   5.5〜30mm











































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