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Sd.Kfz.251/16火焔放射装甲車

●仕様と特徴

Sd.Kfz.251/16は、Sd.Kfz.251装甲兵員輸送車に口径1.4cmの火焔放射器を搭載した火焔放射型で、1943年1月から実用化された。
ベースとなったSd.Kfz.251装甲兵員輸送車の車体は、大戦中期に生産されたC型、大戦後期に生産されたD型が共に使用されている。

搭載する1.4cm火焔放射器は、B2火焔放射戦車用にケーベ社が開発したもので、放射筒には、即時作動式閉鎖弁および噴射口キャップが付けられていた。
1.4cm火焔放射器は、戦闘室側面上部に設けられた架台に左右1基ずつ装備され、それぞれに楔形の防盾が取り付けられていた。
装備位置は、右側が中央部で、左側はややそれより後方である。

火焔放射器は、160度の旋回角と、40度の仰角を得ることができた。
車内左右の後部にある角形タンクには、合計で700リッターのNr.19火焔用油が搭載されており、開閉バルブ付きの共同配管で放射筒に接続されていた。
これにより、1.4cm火焔放射器は、約2秒の放射を80回程度連続させることができた。

1.4cm火焔放射器を別個に使用した場合、火焔用油は無着火で50m飛ぶ(着火時は60m)。
これが2基同時使用になると、圧力の低下により射程は35mに低下する。
車体後部には、ケーベ社製HLII40/40 1000/200型噴射ポンプと、それを作動させるアウト・ウニオン社製(DKW)ZW 1101 2ストローク補助エンジン(出力28hp、混合油式)が搭載されていた。
補助エンジン用には、2時間の全開運転を可能とする25リッターの燃料が用意されていた。

Sd.Kfz.251/16の初期仕様では、車体後面に携帯式の口径7mm火焔放射器42型と、10m長の接続ホースおよび10m延長用予備ホースが装備されていた。
1.4cm火焔放射器から噴射される火焔用油への点火は、筒口の特殊点火プラグ(シュペツィアル・ツュンドケルシェン)により行われた。
携帯式7mm火焔放射器の場合は、噴射油への点火は薬包式(マウザー・パトローネン)であった。

実用教範D546/4によると、この火焔放射機構は1944年5月に幾つかの改修がなされている。
1.4cm火焔放射器の筒口は再設計され、以前のガソリン〜電気式点火装置に代わって、新しい薬包(空砲)式の火焔油点火機構が装着された。
この新型薬包式放射筒には、空砲25発の入った弾倉が挿入できるようになっていた。
加えて防盾の形状も改修され、携帯式7mm火焔放射器は廃止された。

また、乗員室前上面には、7.92mm機関銃MG34 1挺が防盾付きの銃架と共に搭載された。
乗員用の携帯火器は9mm機関短銃MP38が2挺で、弾薬は、機関短銃用1,024発、機関銃用2,010発搭載が本車の規準であった。
乗員は4名で、車長は指揮の他に、Fu.Spr.Ger.f型隊内用無線機の通信手と機関銃手も兼ねる。

1.4cm火焔放射器の操作は、各基に1名ずつの火焔放射手(フラムシュッツェン)計2名が付いて行う。
風向きによっては自らも焼かれる危険性があるため、火焔放射手は、つなぎの耐熱服を着用しており、頭部には、全体を丸ごとカバーするマスクとゴーグルを着用していた。
残る1名は操縦手で、前左側の操縦手席に座る。
車体後部に噴射ポンプと補助エンジンが搭載されているため、乗員の乗降は上から行うしかなかった。


●生産

Sd.Kfz.251/16の生産は、兵器局による1943年1月の報告書に初めて記録されているが、1943年1月から7月までの間に96両の完成を報告した後、兵器局は生産台数の記録を中止してしまった。
が、これは別に異例なことではない。
1939年から1945年にかけての生産期間のほとんどにおいて、兵器局は、各月ごとに生産ラインを出たSd.Kfz.251装甲兵員輸送車の各派生型の数量報告でさえも行っていないからである。

1944年10月1日付の計画書には、Sd.Kfz.251/16をゲールリッツのヴゥマーク社で組み立てること、および、1944年10月から1945年5月までの間の生産計画案が示されている。
Sd.Kfz.251の各月ごとの総生産数の報告に加えて、1944年9月をもっての開始で、兵器局は、軍への引き渡しを承認した数種の派生型の数量を報告している。

1944年9月1日の時点において、在庫表では、Sd.Kfz.251/16は総計で293両と記録されている。
これは、完全に稼働するSd.Kfz.251/16が、1943年8月から1944年8月までの間に、少なくとも200両は生産されていたことを示している。
なお、Sd.Kfz.251/16の生産車のうち、1943年9月までの生産分は、Sd.Kfz.251装甲兵員輸送車C型がベースとして用いられており、それ以降はD型がベースとなっている。


●部隊配備

1943年の初頭、機甲擲弾兵連隊(装甲化)の本部中隊に配属された火焔放射小隊に、6両のSd.Kfz.251/16が支給された。
1943年8月1日付のK.St.N.1130による編制の、この火焔放射小隊(装甲化)は付属部隊と表記されていた。

この編制分類は、1943年11月1日付のK.St.N.1104(装甲化)に準拠して、同部隊が、Sd.Kfz.251/16 6両を持つ第2(火焔放射)小隊として、機甲擲弾兵連隊(装甲化)本部および本部中隊の固有編制に取り入れられたことにより変更となった。
1944年の初頭、この火焔放射小隊は連隊本部中隊の編制から外された。

1944年11月1日および4月1日付のK.St.N.1118Bによって、6両のSd.Kfz.251/16は、機甲擲弾兵連隊(装甲化)の機甲工兵中隊第4(火焔放射)小隊(装甲化)に配備された。
最初から最後まで各機甲擲弾兵連隊(装甲化)への編制を認可されたSd.Kfz.251/16の数量は、6両のみであった。

つまり、機甲擲弾兵連隊(装甲化)2個を持つ戦車教導師団のような特別な例を除いて、各戦車師団に配備を許されたSd.Kfz.251/16は6両だけだったのである。
新規のK.St.N.が発布されても、部隊は、それに拠る編制の自動的変更、またはその結果としての新型車両類の支給を受けられるわけではなかった。

編制の変更を認可する特定の命令は、陸軍総司令部の編制局によって作成されたものであり、また、車両類自体は、陸軍軍需局長らの別種の命令によって兵器廠から支給されるからである。
1943年の始まりと共に、追加のSd.Kfz.251/16による新しい火焔放射小隊の編制に適合するよう、古い手続きは中断された。
だが、これは緩慢なやり方であった。

1944年の中頃になっても、Sd.Kfz.251/16装備の火焔放射小隊を持つのは戦車師団の約半数に過ぎなかったが、1944年7月から9月にかけて編制された独立戦車旅団は、その編制内の機甲擲弾兵〜工兵中隊に、Sd.Kfz.251/16 6両装備の火焔放射小隊を持つことを許されていた。
Sd.Kfz.251/16は、戦闘工兵車両として非常に有効だったとされる。

<Sd.Kfz.251/16火焔放射装甲車C型>

全長:    5.80m
全幅:    2.10m
全高:    2.10m
全備重量: 8.62t
乗員:    4名
エンジン:  マイバッハHL42TUKRM 直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 100hp/2,800rpm
最大速度: 53km/h
航続距離: 300km
武装:    1.4cmケーベ式火焔放射器×2 (700リッター)
        7.92mm機関銃MG34×2 (2,010発)
装甲厚:   6〜14.5mm














































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